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sima記

Twitter @diarog

仕事

子供の頃、親父をみてると「仕事ってなんでこんなに辛そうなのにするんだろ」と思っていた。

親父は銀行員で、バブルも終わりだった頃だろうが家にいるのが珍しいくらい仕事をしまくっていた。課長、次長、支店長と役職が変わっていく中で趣味もなくボロボロになりながらもまさに遮二無二に働くサラリーマンだったと思う。

そんな親父の背中を見ていたので毎朝パリッとしたスーツを着てきっちりネクタイを締める仕事は自分は絶対むりだと思い、大学を卒業して肉体労働の道を選んだ。

大学では万年筆と本くらいしか持ったことのないもやし学生がいきなり大卒者もほとんどいないし、朝から晩まで重いものを担いで走り回り危険な作業をする職人の世界に飛び込んだわけだけれど、正直ほんとに精神的にも肉体的にもきつかった。

そこで何年か過ごし今にいたるわけだけれど、思ったのはサラリーマン的なものが嫌で現場に入ったけど、結局そこもサラリーマン的な価値観の支配する場所だった、ってこと。工場で働く古き良き日本の職人の世界、みたいなイメージは多くの場合メディア的虚像だよ、うん。

でもそれが全て悪いことであり、無価値なことであるとも思ってないない。悪い部分もたくさんあるけれど、本当に悪いのはその悪い部分を自分が身につけ、他者に強制し始めた時だ。人間は自分が身につけた価値観を絶対的に正しいと盲信しがちだし、それを他人に押し付けることで自分を守ろうとする一面がある。それだけは真っ平御免こうむりたい。

じゃあ、そうならないためにはどうすればいいのか。これは簡単で難しいことだけれど、自分の「生活の柄」を自分で獲得する、ってことだと思う。獲得ってのはイギリスの思想家バートランド・ラッセルが『幸福論』(原題 The Conquest of Happiness)で用いた意味に準じるけど、そこにはただ漫然と願うのではなく知恵と知識を動員して積極的に Conquest するって意味だ。生活の柄、とは山之口獏が書き、高田渡が歌ったところのもの。

働いてるとこちらを欺こうとする価値観はいくらでも出てくる。会社のためにー、お金のためにー、自己実現とはー、なんて「会社の」ための価値観を「あなたの」ための価値観とすりかえ、刷り込まそうとする、これは避けられない。本来的には生活のために仕事をするのに、仕事のために生活する、っていう逆転をしてしまうと容易に他者を不当に陥れる人間ができあがってしまう。

だから僕はどんなに忙しくて疲れていても、どんなに強制力がはたらいても仕事が終わると本を読み勉強するし、仕事と生活は分けて考えるようにしている。そして自分の仕事や作り出したものがどういうものなのか、どういう社会的意味をもつのかを考えて分析して批判する。こういうことをしてると多くの場合嫌われたり違和感を持たれたりするけれど、人とはすべて同じ類でも個としては違うのだ。

実在は個であり、普遍は抽象なのである、なんていうと中世ヨーロッパでは火あぶりにされちゃったりしたけど、現代でもあまり変わっていない。そんなかで生きるというのは、しんどいことではるけれども、その中で生活と幸せを獲得する闘争ってのは避けては通れないんじゃないかなぁ、と思うこの頃である。