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sima記

Twitter @diarog

疑うということ

何年か前に職場で事故があって、ただでさえ少なかった人手がさらに少なくなって朝6時半から夜8時まで仕事で40連勤するって日々だった。40連勤して1日休んでまた30連勤して1日休んで20連勤みたいな5ヶ月間。毎日死んだような目をして帰ってきて、雰囲気があまりに怖かったから話しかけられなかったとは嫁さんの談。新婚1年目だったのに苦労かけた。

そこでまさに文字通り骨身に染みて理解できたのは仕事のしすぎは完全に精神的にも肉体的にも害悪そのものだということだ。キツい言い方だけど、そうなると自分が害悪を撒き散らす存在となる。

今はそんな状況になったらすぐさま退職するけれど、新卒で入った僕はその異常さにも疲労が先立って気づけなかった。職場の人間関係も最悪だった。全員が限界を超えた疲労で正常な判断力を失っていたと思う。こういう意味で社会経験をもってない新卒ってのは弱い。

僕は今では逃げるってのはとても大切な能力だと思っている。自分の限界を超えた状況から逃げて楽になれるならためらわず逃げるべきだ。それは逃避というより、正常な判断力であり健全なものであるとも思う。

どんな状況からでも逃げちゃいけない、何事も受け止めて前向きにがんばることが大切だ、とかいう人は本当の限界とか疲労を知らないからそんな無責任な発言ができるのだと思うし、心から軽蔑する。まぁ、音飛びしたレコードみたいなもんだ。発言を検討する価値もない。

世の中、平然ととんでもないことをいう人はホントに多い。騙されちゃいかんぞ、って僕はよく言うけれど、そういう無責任さに騙されると自分だけの問題では済まないから騙されてはいけないと思う。そういう無責任さに騙され、価値観を受け入れてしまうと今度は自分が他者を不当に踏みにじりはじめるからだ。

「疑う」能力は幸せになるには確実に必要な能力だと思う。この意見は正しいのか、間違ってはいないか。また自分の行動や意見は間違ってはいないか。そんな反省がないとずるずると気付かないうちに最悪の方向に流される。そんな人たくさんいたし、どうみても不幸だった。

自分が絶対に正しいなんて思わない。ただ疑っている自分は確かなものであると思う。カントは哲学を学ぶってことはただ哲学することを学ぶってことだと言ったし、戸坂潤は哲学とは日常の現象一切を批判の俎上に乗せる姿勢そのものだって言ったけど、なにかを試み、考え、反省し、批判する姿勢こそ騙されない姿勢だと思うし、自分の幸せを考える姿勢なのだと思う。だから僕にとって哲学は騙されない、つまり幸せになるための手段だ。

「全てを疑え。そして人をして語るにまかせよ」